
昨日、5月7日日曜日に佐野市報恩寺にて坐禅会に参加させて頂いた。
これで3度目になる。
私が坐禅をする理由は、「今ここ」を過ごすためだ。
日々の生活の中では様々ななことを考えなければならない。
仕事、家族、セミナー、将来計画、様々である。
仕事をしながら家族のことを考えてしまったり、
家族と過ごしながら仕事のことを考えてしまったり、
AをしながらBをしているのだ。
つまり、体はAをしているのに心はBをしている。
心と体は別世界を生きていることが多い。
本来、心身一如が良い。
心と体が一致しているほど健康的に生きられる。
わかっていてもそれができないのが人間だ。
坐禅では、それをわからせてくれる。
1炷(線香が1本終わる時間)坐る時には、腰骨を立て、静かに、動かないことを自分に意識させる。
その意識の上で呼吸を整える。
「今ここ」を感じるのだ。
しかし、それでも様々な思いが浮かんできてしまう。
自然界からの音ももちろん聞こえてくる。
鳥の声、風の音、水の音。
集中していても自然と体は何かを感じ、思いをめぐらせているのだ。
これが「私」なのだ。
それを認識しつつ、坐禅で「今ここ」に戻ってくる癖をつけるのだ。
腰骨を立て、静かに、動かず、呼吸をすることで、浮かんできた様々な思いに囚われ広げていかないように呼吸に立ちかえるのだ。
自我を捨て去り、「今ここ」を意識する。
こんな大切な時間を与えてくれるのが坐禅の時間だ。
情報化社会、多忙な社会から受けた刺激に振り回されず、悩まず、囚われないで生きる方法をつかむことができる。
当院に来院される不調を抱えた人のほとんどが、心と体が一致していない。
自分が自分をわかっていない。
「あなたの仕事での警戒心はなんですか?」と問うても「ありません」「わかりません」と答える。
脳の中で外部からの刺激にブロックをしてしまっている。
体もどうしたら良いのかわからなくなっている。
乱れた心と体の責任を持つのは体である。
体が不調という表現方法で教えてくれているのだ。
自分を知り、自分をコントロールできる人になることが、健康維持には大切だ。
諦めたらそこで終わりだ。
これからも自分のために、家族のために、他者のために心と体を整えていこう。
篠崎大輔